本年もよろしくお願い申し上げます
新年あけましておめでとうございます。
本年も、少しでも皆様のお役に立てますよう、一同励んでまいります。何卒よろしくお願いいたします。
元日・二日にかけて、正月寒波が襲来し、弊店のございます飯塚市では猛烈にふぶきました。とても寒いお正月となりましたね。風邪など召されませんでしたか?
二日は午前中のうちから冷水峠は通行止め、冷水トンネルも事故で渋滞するなど、福岡・鳥栖方面への通行が困難な状態になっていました。
この先は一年で最も寒い時期に入ってまいります。さらに冷え込み、道路の凍結、悪天候による視界不良がおこることも予想されます。
通勤・お出かけの際はどうぞお気を付けくださいませ。
さて、弊店では毎年、1月5日の仕事はじめに、飯塚市の曩祖(のうそ)八幡宮にてご祈祷を受けております。飯塚市民にはとてもなじみぶかいおやしろですね。
この曩祖八幡宮は、いくつか説のある「飯塚」という地名の由来、そのうちのひとつに深くかかわる言い伝えが残されています。本日はそのお話をしたいと思います。
曩祖八幡宮は、第十四代の天皇に数えられる仲哀天皇の皇后、神功(じんぐう)皇后がその創建に深くかかわっているとされています。
仲哀天皇はヤマトタケルの息子とされ、古事記・日本書紀に記された人物ですから、歴史半分、神話半分の領域といったところでしょうか。この天皇と皇后が実在したのか、それとも架空の人物なのか、今はわかりません。
仲哀天皇なきあと、神功皇后は、身重のまま自ら朝鮮半島に出兵。(このとき身ごもっていたのが応神天皇とされます。仲哀天皇・神功皇后・応神天皇は、現在の曩祖八幡宮の祭神でもあります。)その途上・帰途で九州の地に立ち寄ったため、福岡には、神功皇后ゆかりの地名・伝説・神社が数多く残されているのです。
ご近所のどこかにもあるかな? とちょっと考えてみますと、県道60号、「ショウケ越」が思い起こされます。朝鮮半島出兵の帰り、宇美にて応神天皇を出産した神功皇后が、生まれたばかりのその赤ちゃんを、しょうけ(奥豊後方言で、竹で編んだざるのこと)に入れて抱き、この峠を越したことがその名の由来と言われます。
さて、話は戻りまして飯塚という地名の由来です。
先にも書きました朝鮮半島出兵の帰途のこと、それまで従軍していた兵士・九州の臣下たちを、それぞれの郷里に帰すこととなりました。神功皇后は彼らとの別れを惜しみ、「何日可逢(いつかあうべし)」と述べたと『曩祖八幡宮縁起』には伝えられています。この「いつか」が転じて「いいづか」になったというのです。
「いいづか」の名の由来は、はるか神話の時代の惜別のことばである、というのはなんともロマンがあって、私はこのお話がとても好きです。そして、神功皇后が別れのことばをのべたその場所は納祖(のうそ)の森であり、今の曩祖八幡宮のある場所であるといいますから、当地を訪れるたびにこの話を思い出すのです。